架空の人物を想像するふたつの方法

ライトノベルへ、間接的にあれこれ 〜より引用
http://d.hatena.ne.jp/N31/20060512#1147449623

ひとつは心の内から構成し、もうひとつは外見から構成する。
心の内は、見た目で知ることができない。そこからまず構成する。それを本当にやろうと思うと、人ひとり分の人生を、下手をすれば先祖にまで遡って設定することになる。
心の内、その架空人物の精神を構成することは、環境と風土を構成することと同じことである。
そうやって想像した架空人物はその心の従って行動をとるだろう。行為と言葉は精神に規定される。
心を構成した想像者の思惑から離れた行動をし始めるという事態に発展することはあまりないだろう。
一方、「見た」時に窺い知ることのできる外見から構成する場合、外見というのは顔かたち体つきではなく、むしろ、行為や言葉といった要素が大きい。
これはまず、架空人物がどう行動するかということから構成する。その際、架空人物の精神的一貫性はそれほど重要でない。
重要になるのは架空人物の物語である。架空人物の行為、言動そのものが物語を構成する。外見から架空の人物を構成しようと思ったら、いつも物語を意識する必要がある。
物語を意識した結果、架空の人物があたかも勝手に動き出してしまったという錯覚も感じることがあるかもしれない。
心の内から構成した場合、架空人物の心の内は隠蔽される。心の内は内面描写と行間に詰め込まれる。
外見から構成した場合、内面はほとんど物語の飾りとなる。しばしば、内面描写が外見の描写と変わりなくなくなってしまう。

  • それを本当にやろうと思うと、人ひとり分の人生を、下手をすれば先祖にまで遡って設定することになる。

ロード・オブ・ザ・リングが良い例ですね。文庫の冒頭の説明には参りました。

  • 心の内、その架空人物の精神を構成することは、環境と風土を構成することと同じことである。

ひぐらし」は環境や風土が先にあり、後から人物が出来た、とファウストにあった気が…

  • これはまず、架空人物がどう行動するかということから構成する。

二次創作のみならず、大抵の創作は、そうなのでは、と。

  • 外見から架空の人物を構成しようと思ったら、いつも物語を意識する必要がある。

よくオリジナルキャラだけの設定だけを作り、放置してしまうのはコレが原因かと。
いつも物語を意識する必要がある。
逆に上遠野浩平氏の物語創作は、最初にまず物語があって、その内容に合わせてキャラを創作or過去のキャラを当てはめるようです。だから外見描写が希薄なのかと。

  • 物語を意識した結果、架空の人物があたかも勝手に動き出してしまったという錯覚も感じることがあるかもしれない。

長年の疑問が解けました。

  • 心の内から構成した場合、架空人物の心の内は隠蔽される。心の内は内面描写と行間に詰め込まれる。外見から構成した場合、内面はほとんど物語の飾りとなる。しばしば、内面描写が外見の描写と変わりなくなくなってしまう。

西尾維新氏の小説を読んでいると、そんな錯覚をよく覚えます。ハルヒ(小説)も時々…
主人公の一人称形式だから、かもしれないです