追記 ffの殺人感覚

上記のようなことを、メールでやり取りしまして
『人を始末する時躊躇い無く殺すのに、エンブリオ浸蝕のラストでイナズマを助ける谷口正樹
に対して敬意を払っているセリフがあり、その部分に迷います』
という内容のお答えを頂きました。

  • p216「……友人のために、身の危険を省みず飛び込んでくるとはな。……なんという勇気と行動力だ。」 「そして決断力のある奴……ただの人間だというのにしかし、それに引き換え(以下略)」

『人道からは外れてはいない価値観はあるようだ、それなのに何故簡単に始末してしまうか!』
 『自分が殺す相手は、殺したってどうでもいい人間だと、確実な自信を持っているのではないか?そんなニュアンスのセリフがあったような…』
という内容のお答えを頂きました。

エンブリオ侵食、炎生では見つからなかったのですが、最新の話でこういうセリフがあったので記しておきます。

  • 電撃hp33号 ビートのディシプリン22話 接触と邂逅 「先に引き金を引くということの意味を、おまえたちは知っているのか?それは自分が撃たれてもしょうがないよいうことだぞ?」 「撃たれてもしょうがないということは、負けたときは何をされても文句が言えない、ということだ。俺の良いようにされても仕方がないということ__」 「(前略)残念だが、他人に銃を向ける奴は、自分が攻撃されても文句は言えないって今、俺が言ったばかりなんでな」

 確かに、難民の母子には銃を向けられても彼らを殺さず、助けているので、自分なりの(人間らしい)倫理観はあると思います。 常識は無いですけど。
 カタギには関わろうとしない、というポリシーはあるのかも。(薄紫の異様な外見、躁病な言動なので一般人に避けられるかもしれませんが)
圧倒的に力の差があり、自分に敵意のない、(自分と気の合う)年下の少年と行動するのが好きなんだと
穂波弘のタイトロープ関係なく思っていましたけれど、それだけではなかったようです。

 また新しいフォルテッシモを発見いたしました。